子供を尋ねる親の悲痛な願い




江戸時代の迷い子と神隠し




160年を経て現在に残る迷子標石














迷子さがし 江戸末期

実見画録 長谷川渓石

迷子さがし
まよい子を夜中尋るには図の如くかね太鼓抔を鳴らし
たづねしものなり慈善家は是等の者へ竹製の尺度
を与へる習慣あり其理由は知らず
一石橋又は両国橋際其他にも迷子のしるべ
と記せし立石ありたづぬる方も知らする
方も此石に紙を以て何々と記せしもの
此石は御一新後迄残りし処ありと覚えたり





一石橋畔迷子しるべ石見取図

 凹みの上にひさしが出ているのが判る 横田作蔵




日本橋川に架かる一石橋付近 明治初期

明治初期の一石橋付近 一石橋(右側)隣に迷子標石が見える 遠方の橋は呉服橋



















東京独案内 迷子報標 明治14年 
 
8か所の迷子報標が見える




明治時代に新聞で掲載された迷子の記事
























山の人生 柳田国男 大正15年刊














参考資料
実見画録 長谷川渓石
一石橋畔迷子しるべ石見取図 横田作蔵
東京史蹟写真帖 戸川残花 大正3年
東京市史名勝天然記念物写真帖 東京市公園課 大正11年
東京独案内 佐藤頴吉 明治14年
読売新聞

山の人生 柳田国男 郷土研究社 大正15年