越ケ谷駅停車場新設記念碑



40年ぶりに越谷駅東口広場に戻ってきた










 
「越ヶ谷駅停車場記念碑」は 越谷駅東口ロータリー A街区とB街区を結ぶデッキをバックに設置されている




開業当日、緑門の奥に新設の越ヶ谷停車場 大勢の人たちでにぎわっている 大正9年(1920)4月17日









 
 最前列左側に記念碑の書をとられた池畑確男氏 右隣は大塚善兵衛越ヶ谷町長 明治35年4月 正装の池畑確男氏 



  
越ヶ谷案内 大正5年(1916)3月刊 越ヶ谷尋常小学校の項目に「校長は池畑確男君で明治36年2月着任以来の勤続者」とある


     
 記念碑台座正面 「会員寄附連名」 台座の左右裏側に期成同盟会の方々が刻銘されている 記念碑左側面 「勲八等 池畑確男書」   




40年間にわたり越ヶ谷久伊豆神社の片隅に置かれていた




誰知るとなく越ヶ谷久伊豆神社の片隅にひっそりと置かれていた



越ヶ谷駅新設記念碑の「ケ」は「箇」のくずし字を用いる

五體字類 大献之は中国東晋時代の書家の大家(344〜384)



 
石碑台座の刻銘も朽ち剥がれ落ち かなりの部分が判読できなくなっている









石碑に刻まれた寄付金額と寄付者名簿






東武鉄道開業直後から発生した「越ヶ谷停車場」移転運動

明治43年(1910)〜44年(1911) 埼玉新報









越ヶ谷町で駅舎新設中に大沢町で発生した脅迫事件

大正8年(1919)年11月 東京日日新聞









越ヶ谷町に「越ヶ谷停車場」新設により

大沢町の「越ヶ谷停車場」は「武州大沢停車場」と改称せり


大正8年(1919)12月6日 読売新聞



  
大正8年(1919)12月6日 読売新聞 




昭和40年代の越谷駅
 
昭和46年当時の平屋建ての越谷駅 駅前広場は200坪足らずしかなく朝のラッシュ時は大混雑していた 駅前広場拡張工事のため記念碑は越ヶ谷久伊豆神社に移された  


 
昭和46年8月の越谷駅頭                                           昭和48年12月の越谷駅頭



昭和46年(1971)当時の越谷駅前広場はかなり狭かった (株)ゼンリン 越谷市住宅地図 昭和46年復刻版
地図上部の東武バス越谷営業所に沿った斜めの道路が駅開設時に東武鉄道の要請で造られた停車場前線



改修なった越谷駅 昭和57年(1982)

  
 
越谷駅には2階にブックセンターと喫茶店が置かれた 越谷市の表玄関の越谷駅前ロータリーは昭和57年に完成したが記念碑が戻ることはなかった



昭和57年(1982) 駅前通りと共に見違える明るさになった越谷駅舎 駅前広場には噴水設備とベンチも置かれ市民の憩いの場になった



駅前ロータリーの周囲には緑の木々が多く植えられ正面に乗車券売機と駅売店がある




越ヶ谷町で駅舎新設中に大沢町で起こった出来事








参考資料
越ヶ谷小学校沿革史
體字類
越谷市住宅地図 昭和46年7月 復刻版 (株)ゼンリン
越ヶ谷案内 大正5年
越谷市二十五年の歩み
読売新聞
広報こしがや
写真提供 佐藤光夫氏