大日本道中記大全 東京ヨリ宇都宮迄乗合馬車並荷物賃金 東京・求古堂 明治16年(1883)10月




東京景色写真版 明治26年(1893)刊 眼鏡橋乗合馬車停車場 眼鏡橋は現在の万世橋付近








明治16年ごろに使われていた硬貨 20銭と5銭は銀貨 2銭は銅貨 合計で49銭 上の硬貨5枚で浅草から越谷まで乗合馬車に乗れた
直径・重量・品位  20銭=23.5mm 5.39g 銀800/銅200   5銭=15.15mm 1.35g 銀800/銅200   2銭=31.81mm 14.26g 銅合金






    
  東武鉄道線路案内記    東武鉄道線路案内記 広告 明治37年(1904)4月



 
東京遊行記 大町桂月著 明治39年(1906)刊 (部分)



      
東武線案内 明治44年(1911)8月刊




越ヶ谷案内 大正5年(1916)3月刊




越ヶ谷案内 大正5年(1916)3月刊 (部分)




越谷今昔物語り 八島晃正 昭和36年(1961)刊




    埼玉新報 大正3年(1914)12月18日        埼玉新報 大正3年(1914)7月7日 公告








乗合馬車時間表 大正4年(1915)6月改正 (岩槻・大宮他) 



昭和に入ると乗合馬車から乗合バスに変わった 昭和6年(1931)6月 乗合バス改訂時間表




 乗合馬車は乗合自動車(バス)が出現するまでの一時期に全国で普及し庶民が利用した便利な乗り物だった。その反面、動力として馬を使うことで汚物を道路に撒き散らし、風などにより四方に飛散した。また馬にとっては真夏・真冬のきびしい環境でも人間の都合で酷使され、虐待同然の使役をされていた。さらに運転手の馭者も雲助まがいの不良が多かったという。
 ここに掲載した新聞(読売新聞)は東京周辺のものだが、越谷地区での乗合馬車も同様だったと想像される。